小柴昌俊氏についてのNHKの番組を見た

逆境を乗り越えて、ノーベル物理学賞を2002年に受賞した、小柴昌俊氏に
ついてのNHKの番組を見た。自分なりにまとめてみた。

■小児麻痺から這い上がり

 小児麻痺になり、両腕・両脚が不自由になりつつも、鍛えて数ヶ月で
何とかある程度使え、自立できるまでに復活した。

■家族のため勉学に専念できなかった学生時代

 一高時代、東大時代、共に満州に行って捕虜になってしまった父の
代わりに大家族のために、家庭教師、講師、米軍の人足としてアルバイト
ばかりしていた。そのために授業にもあまり出席できず、成績は最低だった。

■物理学専攻のきっかけ

 勉強していない小柴が物理学科に受かりっこないという、物理の先生の
言葉を聞き、悔しさから物理学を専攻。

■研究分野との遭遇

 写真乾板を使用した新しい分野を先輩から聞き、やってみたところ、
それほど説明を受けなくてもできそうだということが実感として分かった。

■カミオカンデで、米国のグループの半分の予算で活躍

 陽子をキャッチする巨大な装置を造るというのは、小柴ら日本だけ
でなく、米国のグループが既に取り組んでいて、彼らは小柴らの2倍の
予算を持っていた。
 小柴は、予算が無く、後追いの二流の研究しかできないのでは仕方が
ないと知恵を絞り、1個1個の光のセンサーを直径4倍、面積で16倍の
センサーを新規開発し、感度を大幅に上げるという作戦を立てた。
そして、センサーの開発、設置を行った。感度が高いので、陽子だけでなく
ニュートリノの検出までできるようになり、それを検出するという
これまでにない成果を上げた。
 この、ニュートリノ検出の論文からノーベル賞受賞に至った。
 カミオカンデを造る際に、もっと予算があったならば、既存のセンサーを
大量に並べるという方向に進み、このような成果を上げられなかっただろう
と小柴は言う。

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