フクシマ論を結構読んで
ボリューム感
フクシマ論を1/3ぐらい読みました。これは本当にボリュームがあります。図書館にあったのを借りていたのですが、延長しても読み終えられなかったです。
この論文は、今回の福島原発のメルトダウンの事故が起きるよりも前に書かれた論文で、この問題に気付き、深く掘り下げて研究なされていたのですから、大変貴重なものだと思います。首長だけでなく、地元の人々も含めた膨大なインタビュー、および記事の調査といった地道な取材・調査の積み重ねと整理、分析がなされていました。
読んで記憶に残っている範囲で、まとめておきたいと思います。
色々な人々
福島の人々も単純に推進、反対というようにはなっていなかったし、選挙で選ばれた首長も推進も反対もあったようです。
原発ができる前とできた後
原発ができる前は、反対運動が起きていたようです。それが、一度できてしまうと、反対運動とまではいかない。それは、そういうことに不安を抱きながらでは平穏な日々を過ごせないからということでした。反対派住民もいますが、周囲の住民からは気が違っているように見られているようです。それでも、反対派住民などがいても、原子力ムラは維持されていきました。
原発依存
原発が造られたような地方は貧しく、貧しい農民はよそよりも重い税金に苦しんでいたようです。
それが原発ができると、例えば定期検査の時に各地から人が集まってきて、地域の旅館や商店を利用するなど、原子力施設の雇用だけでなく、ムラ全体に大きな経済効果が発生したようです。ただ、原子力施設の経済価値は、建設されたばかりが一番高く、徐々に低下していきます。そこで、原発によっては、次々に原子力施設を増やしていき、はまっていくということがあるようです。
首長
地方の首長は、推進派だった人もいれば、官僚政治反対と言って反対派だった人もいたようです。
推進派としては、国のためになるのだからと誇りにしていたようです。それはそういう首長だけでなく、町ぐるみでそうだったようです。原発に勤めるプロスポーツチームを町ぐるみで応援したり、原発まんじゅうといった土産物まで存在していました。
反対派グループのリーダーだった人が首長になった後、20年ほどもその地方では推進派として活動したというような人もいたようです。
一方で、原発反対の立場を貫いた福島県知事もいたようです。
戦前、戦時中と戦後
戦前は、国策として、塩が作られたことがあったようです。それはその後廃止となってしまいましたが、国の仕事を引き受けるということで、原発につながるきっかけではありました。
戦時中、福島県はほとんど戦争の直接攻撃にはさらされなかったそうです。終戦間際に数日、空襲があった程度だったようです。また、軍人を送り出していました。
戦後、軍人が帰ってきました。軍人が帰ってきて人が増えているのに、国土が荒廃しているのですから、食糧難は深刻だったようです。農家は闇で売るということもできましたが、それらはよく摘発されていましたし、ネギを売って現金を得たとしても、それで米が得られるとは限らなかったようです。
戦後、国から地方へという一方的な流れ、全体主義が戦争を引き起こしたとして、そのような流れは解体され、各地方にて議会が開かれたようです。けれども議会は紛糾していたそうです。そういった混乱を収めるために、大合併がありました。(よく平成の大合併などと聞き、何のことかと思っていたのですが、昭和にも大合併があったようです。)